神様にごあいさつ

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こんばんは。

 

ここ最近、神様やご先祖様とつながる時間をいただいています。

今日は娘と息子と3人で、娘の誕生日の報告に鎮守神社に行ってきました。
娘は昨日、6歳になりました。

facebookにも少し書いたのですが、娘を出産した時、息子を産んだ時とはまた違った想いが湧き上がってきました。

一人目が男の子だったこともあり、実は神様に『次は女の子をお願いします。』とお願いしていたのです。

もちろん、授かりものですから、本当の意味ではどちらでもいいのです。
そこは、思いっきり、人間らしい私のエゴでした(笑)
『男の子でも、女の子でも、私をお母さんにしてもいいよ、という子どもがいたらお願いします。そしてもし、神様がいいよ、その子がいいよ、と言ってくださるのなら、女の子を授けてください。女の子を育てる、という学びをしてみたいのです。』
よく、心の中でこのようなことを言っていました。

 

 

生まれる前の子どもは、空の上で神様と一緒にいて、どのお母さんのもとへ行こうかと相談をしている。そして、どのお母さんに行くか、決めたら、神様にお話をしてやってくる。

確か、このようなことを聞いたことがあります。
胎内記憶のある子どもたちの話をまとめた本だったでしょうか…。
池川先生の本だったような気がしていますが、はっきりと覚えていません。

 

また、こちらも記憶が定かではないのですが、たぶん江原さんの本だったと思います。
『子どもを授かり、育てるという学びをさせてください。』という姿勢でお願いをする、というようなことが書かれていたような…。
その記憶があった私は折に触れて、『女の子を育てるという学びをさせてください。』と神様にお願いをしていたような気がします。
大きな視点で見れば、子どもを授かる、授からない…いろいろな状況があるにせよ、それが自分にとっての最善の学びであり、それ以外はないということも、頭の片隅にはありました。
けれども、『もし…お空にいる子どもの中で、女の子でいいよ、私をお母さんでいいよ、と言ってくれる子どもがいるならば…』とつい、つい、願ってしまう自分がいたのでした。

 

念願かなって!?私のもとに娘が来てくれました。

神様が願いを聞いてくれたのか、娘が空の上で、「いいよ。」と言ってくれたのか、何度か娘にも確認をしましたが、娘の中の記憶は、ちゃんとクリアになっていたようです。

 

娘が生まれた瞬間に、私は『この子と出会うために今まで生きてきたのかもしれない。』
『この子と出会うために、私は両親を選び、あの日を誕生日にしたのかもしれない。子どもの頃、あんなことやこんなことで泣いて、悩んで、笑って、食べて、寝て、バレーボールをして(笑)、そして夫と出会って…。今までの事はすべて、この瞬間につながってきたことだったのかもしれない…。』
ふと…そんなことを想いました。

 

これからも神様やご先祖様に、まっすぐと前を向き、胸を張ってお話しできるよう、日々学びを続けていこうと思います。

 

それにしても…9月に入り、『6愛情』のエネルギーをホント、いろいろなところで感じます。
『6愛情』は、身の回りの人間関係を見つめる…とありますが、神様やご先祖様とのご縁も見つめる時なのかもしれないと、感じられることがしばしば…。

愛か恐れか、どっちにするの?

そう、問われた時には『私は愛を選択します。』と心の中で、静かにつぶやく…この頃です。