私の幸せって!?

書籍のタイトルは、
「恐れや悲しみがあっても、人は幸せになれる」
です。
でもそもそも、「幸せ」ってなんでしょう。
なにがどうであったら、
「幸せ」なのでしょうか。
私が思う「幸せ」と、
あなたが思う「幸せ」は違います。
こうして文章にすると、
本当に、そうだよね、
当たり前のことだよね、とそう思いますが、
日々、生活をしている中では、
どこかで、誰かの思う、願う「幸せ」を、
自分が何とか手にしようと、
変にがんばっていることがあるかもしれません。
また逆に、
本人は幸せだ、と思っているのに、
いや、あなたは問題があるよ、
もっと幸せになれる、
もっとよりよい生き方があるよ、
こうしたほうがいい、
ああしたほうがいいと、
周りが勝手に、
あなたに期待をしたり、
ちょっとダメな人にしたり、
そうしたこともあるかもしれませんね。
あの人は幸せそうに見えるけれども、
本当は何かあるに違いない、とか、
そうした見方も、
なんだか余計なことだと思いますし、
私、幸せです、と、
いちいちアピールしなくてはいけない!?ような幸せも、
なんだかちょっと変じゃない!?なんて、
そのように思うこともあるかな…^^;
またもしかしたら、
うらやましいな、と思うあの人に、
自分が入れ替わってみたら、
思っていたよりも、
大変なことがいろいろとあった、とか、
そのようなことも、
あるかもしれませんよね。
見えない努力、ではないですが、
背負っているものや守っているものなど、
みなそれぞれに、
それぞれのものってあると思います。
私はこうだああだと、
周囲にわかりやすく表現をする人もいれば、
胸の内にしまって、
黙って、黙々と、
あえて自己発信をしない、という人もいます。
それはどちらがいいとか悪いとかではなく、
その人の自己表現です。
何をもって幸せか、というのも、
その人それぞれのものであるということを、
100%信頼をしたら、
自分は、自分の幸せというものを、
しっかりと考え、向き合っていけばいいと思いますし、
他人のことは他人に任せる、というか、
ちょっと冷たい言い方になるかもしれませんが、
幸せでも不幸でも、
それはその人の生き方、自己表現、
他人の幸せや不幸に対して、
自分はとやかくいう必要がないのだ、と思います。
恐れや悲しみがあっても、
人は幸せになれるよ、
こうしよう、ああしよう、って
そのような本を書いておいて、
他人のことは、他人に任せて、
幸せでも不幸でも、
その人らしい生き方を信頼してって、
矛盾していますね…^^;
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自分のことがよりよくわかってきたら、
同じように、相手のこともよりよくわかってくるのだと思うのです。
もっとこうしたらいいのに、なんて、
誰かのことに対して、
ああだこうだと思うのなら、
その前に、もっと自分に気持ちを向けて、
自分の幸せを満喫する、
自分の幸せを味わう、
その方向へと、
心を向けていくことではないか、と
そのようにも思うのです。
私自身も、
家族や友人、仲間、社員、
それぞれに対して、
勝手に期待して、
勝手に失望をしていることがあります。
もっとこうしたら、
よりよく成長できるのではないか、なんて、
勝手に、ああだこうだ、思っています。
そして、ふっと、
あぁ、成長すべきは私だ、と
気づくのですよね(笑)
勝手にその人の生き方、
幸せの形を、
私が決めようと思っているのは、
変なことだ、と。
私は、100%、私の幸せにだけ向き合って、
相手の自己表現をそのまま、
相手がしたいように表現することを、
受け入れていくだけだな、と。
その姿そのものを、信頼し、
どのような姿であっても、
その人の生き方、その人の幸せは、
その人自身が決めることだ、生きることだ、と
そう信頼をしていきたいな、と思います。
と、いいつつ…
つい、おせっかいもしちゃうところもあるのですけれども(笑)
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それぞれの幸せ、といっても、
人はみな、承認欲求があるので、
どこかでは、
「その生き方いいね♪」
「その生き方、素敵ね♪」って、
そう認めてもらいたいし、
「あなたは幸せだね♪」って、
そうした言葉や態度、愛を求めているのだとも思います。
ですから、自分の幸せ、の中には、
自分の中にある承認欲求を、
健康的に満たす、ということも、
含まれているのではないか、とも思っています。
いいの、私の幸せはこれなの、
誰も認めてくれなくても…というのは、
本人もどこかで、
私は幸せなんだ、と、
呪文のように、言い聞かせているのかもしれませんし、
ちょっとすねたり、
本当は認めてほしかったり、
共感してほしかったりすることもあるかもしれませんね。
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幸せの定義って、人それぞれです。
願う状況や環境が揃っていたら幸せか、と言われたら、
人は心の結びつきを求めます。
また理想と現実の差に、
諦めや絶望を感じることも、
ときにあるかもしれません。
誰かの幸せな姿をみて、
いいな~と思ったり、
私もそうなりたい、と思ったり、
それもまた自然な気持ちの表われでしょう。
隣の芝生は青い、ことも、
多分にあるかもしれません。
私は、タイトルにしたように、
本当に、そのまんま、
みなそれぞれに、抱えている、
恐れや悲しみはあるだろうけれども、
けれども、そうした中でも、
ちゃんとそれぞれの幸せを見つけることができる、
その人らしい生き方、
その人らしい幸せの世界で生きていける、
本当に、そのように思っています。
誰かにとっては、
大変に思えるような状況であっても、
その人の、その人らしい力で、
自分の人生を、自分らしい形に仕上げていくこと、
その人にはその力があるのだ、と
そう信頼し続けていきたいな、と思います。
同時に、そうならない生き方であったとしても、
勝手に、その生き方に対して、
こうだああだと思うこと、
私が思うことは、
必要のないことだ、とも思っています。
取り方によっては、
冷たい言葉のように思われるかもしれませんが、
みんな、自分のことは、自分で、
ちゃんと責任をとるんだ、という、
そうした在り方でしょうかね。
勝手にしな、知らないよ、と、
そのようなことではありませんが、
でも一部では、
そのようなことであるのかもしれませんね。
でも私自身のことを思うと、
干渉されるよりも、
義務や制限をかけられるよりも、
勝手に、好きに、生きなさいって、
そう言われる方が、
自分の性に合っているのではないか、とも思います(笑)
みなさんの思う、
「自分の幸せ」ってなんですか?
他人の様子に左右されずに、
じっくりと、自分自身を見つめて。
手にしているもの、
手にできないもの、
それぞれにある中で、
今ここから、何を見て、感じて、
どのように日々を過ごしていくか。
「私の幸せ」を、
一つ一つ、感じて、楽しんで。
それぞれに違うのが当たり前ですし、
共感されないこともあるとは思いますが、
それでも、世界中のどこかには、
きっと、「それいいね♪」
「その生き方素敵ね♪」
「私もそうよ♪」
「私も、わかる♪」
そうした人が、どこかには、
必ず、いるとも思っています。
今目の前に、そうした人がいてくれる人は、
もうひとつ、幸せを手にしていますね(^-^)
私はこの場があることが、
私の幸せ、のひとつです。
みなさんと、こうした形で出会えたこと。
日々、みなさんに発信できること、
表現をできること。
心から、ありがとうって思います(^-^)♪
それでは、今日も素敵な1日を♪
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